中濱(ジョン)万次郎(1827-1898) (なかはま まんじろう)


土佐中ノ浜浦(現 高知県土佐清水市)の漁師の子。1841年、14歳の時出漁中に遭難して鳥島に漂着。143日の無人島生活の末アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されてホノルルに寄港。万次郎以外の乗り組み員4人はホノルルに上陸するが、万次郎はジョン・ハウランド号と共に更に1年半の捕鯨を続け、1843 年にマサチューセッツ州ニューベッドフォードに帰港。船長(ウイリアム・ホイットフィールド)の好意でフェアヘイヴンの町のホイットフィールド家に下宿して学校教育を受け、1852年に25歳で帰国。
帰国後は幕府で外交官交書簡の翻訳等に従事、1860年の日米修好通商条約本書の批准交換の為遣米使節に随行し、再度渡米。明治維新後は開成学校英語教授を務めた。
 (中濱博著『中濱万次郎』 )より

ジョン万次郎・メモリアル・オーケストラについて

ジョン万次郎・メモリアル・オーケストラは、ジョン万次郎の末裔にあたる野武 重忠が発起人となって2017年に設立したオーケストラである。
本日までに計6回の演奏会を開催。節目となる2027年のジョン万次郎生誕200年に向けて、現在も定期的に活動を行っている。